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    • 2021.06.08 Tuesday
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    船つけの地名のいわれ

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       九鬼嘉隆が豊臣秀吉に従軍して戦場に向かうのに安乗岬沖まできた時急に舟が進まなくなりあのり神社に御参りするのに船を着け上陸した浜です。今でも船付けと呼ばれ地名して残っています。DSC_0067.JPG

      台風も通り過ぎました。

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        台風も大したことなく過ぎていきました、青空が見えてきましたが波はまだ高いです。DSC_0080.JPG 

        台風が接近して来ました。

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           台風接近と共に海が荒れてきました、風も強く吹いています。DSC_0078.JPG

          戦艦はるさめの殉難碑

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             明治時代鳥羽市相差町の菅崎に戦艦はるさめが座礁沈没し多数の船員が亡くなりました。そのとき相差と安乗の住民が救助捜索に尽力した。其の殉難碑があのり岬公園にあります。DSC_0066.JPG

            あのり文楽の保存庫

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               あのり文楽の保存庫です、昭和56年国の重要無形民俗文化財に指定されたとき新築しました。中には人形の頭や衣装などが保管されています、頭は前は90余り有ったのですが残念ですがいまは80余りに紛失してしまっております。先人達の宝物です大切に守って行かないと申し訳ない事です。DSC_0075.JPG

              あのり神社の境内にある安乗文楽の舞台小屋

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                 あのり神社にある安乗文楽の舞台小屋、毎年9月15,16日にあのり神社大祭に奉納上演する舞台小屋です、全国に地方の文楽を伝承しているのは50数箇所ありますがこの様な舞台小屋が残されているのは数箇所しかありません、大変貴重です。DSC_0074.JPG

                九鬼嘉隆公に縁のあるあのり神社

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                   あのり神社は九鬼嘉隆が豊臣秀吉に従軍してあのり沖まで来たところ逆風で船が進めなくなりその時にあのり神社に海上安全と戦勝祈願をしたところ俄かに順風が吹き出し無事に敵
                  地に着き武功をたて秀吉公から認められ重くとり立てて貰えたと伝えられています。DSC_0073.JPG



                  昔から穴良瀬地区により守られて来たあのりの天王様

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                     あのりの天王様 穴良瀬地区により守られて来ました。7月14日が縁日ですDSC_0068.JPG

                    あのり漁港の入り口に鎮座する弁天様

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                       漁師、海女さんたちの大漁と海上安全を祈願する弁天様です。漁師の人たちによって大切に管理されています。DSC_0064.JPG

                      あのり漁港の清正石

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                         あのり漁港にある加藤清正が名古屋城を築城のときに荒天の為あのり港に避難して落としていった石です。海中に沈んでいたのを港改修の時引き揚げられ近年今の所に祀られました。清正公の家紋が印されています。DSC_0065.JPG

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